@article{oai:sgul.repo.nii.ac.jp:00000339, author = {久保田, 義弘}, issue = {5}, journal = {札幌学院大学経済論集 = Sapporo Gakuin University Review of Economics}, month = {Mar}, note = {本稿では,16世紀中期のスコットランドの宗教改革前夜の国際情勢の中で,スコットランド王国がイングランド王国とフランス王国に翻弄されながらも,自国のアイデンティティを模索し,スコットランドの自律あるいは自立に政治生命を賭けた国王メアリー女王の時代を調べる。イングランド王国によるスコットランド王国の征服・併合の策謀は,エドワード1世(在位1272年-1307年)やエドワード3世(在位1327年-1377年)に見られるたが,しかし,第1次独立戦争(1306年から1328年まで)や第2次独立戦争(1329年から1377年ごろまで)におけるスコットランドの勝利によって回避された。テューダ朝ヘンリー7世の治世下での経済力の伸展をベースにして,ヘンリー8世のフランス侵攻戦略によってイングランド王国による一体化攻勢が再開された。本稿の最初の節ではメアリー女王がフランスへの脱出し,フランス王妃になり,そして帰国したメアリー女王と王母マリー・ドゥ・ロレーヌの宗教政策と会衆指導層の戦いを概観する。次節では,メアリー女王の再婚と私設秘書ダヴィッド・リッチオならびにダーンリー卿ヘンリー・ステュワートの暗殺と,メアリー女王のイングランドでの陰謀の失敗とメアリーの死を概観する。それと同時に,1560年2月27日にイングランドとの間で結んだベリク協定(Treaty of Berwick)とエディンバラ条約(Treaty of Edinburgh)によって,スコットランドとイングランドの絆が強くなり,フランスとの古い同盟は反古にされ,両国の合同が間近にせまっていた。, Bulletin, 論文}, pages = {41--62}, title = {スコットランド王国の宗教改革前夜 (3) : スコットランドの近代への途}, year = {2013} }