{"created":"2023-06-26T10:46:26.418562+00:00","id":371,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"b0fd5273-31c6-4b17-8b80-211c729c7d67"},"_deposit":{"created_by":3,"id":"371","owners":[3],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"371"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:sgul.repo.nii.ac.jp:00000371","sets":[]},"author_link":["437","436"],"item_4_alternative_title_19":{"attribute_name":"その他のタイトル","attribute_value_mlt":[{"subitem_alternative_title":"The Kingdoms of Alt Clut and Strathclyde in the Medieval Scotland : Its rise-up,Golden age and Decline"}]},"item_4_biblio_info_7":{"attribute_name":"書誌情報","attribute_value_mlt":[{"bibliographicIssueDates":{"bibliographicIssueDate":"2014-10-10","bibliographicIssueDateType":"Issued"},"bibliographicIssueNumber":"8","bibliographicPageEnd":"67","bibliographicPageStart":"41","bibliographic_titles":[{"bibliographic_title":"札幌学院大学経済論集 = Sapporo Gakuin University Review of 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Clut)に置いたと思われるが,しかし,このことに関する明確な記録は発見されていない。本稿の第1節の第2項の前半では,アルト・カルト王国の発生とその展開を概観する。5世紀から7世紀の前半までは,その王国の西側にScottiのダル・リアダ王国,その北側にピクト人のピクト王国,その東側にアングル人のベルニシア(ノーザンブリア)王国,その南側に他のブリテン人の王国(グウィネッズ王国,レゲット王国,あるいはエルメ王国などの王国)が活動していたと考えられる。アルト・カルト王国の第9代目エウゲン1世(在位不詳;7世紀中頃))までの国王は,その在位期間が確定しない王であり,伝説上の,あるいは,半歴史上の人物であると考えられる。特に,その関係がその王系図からブリテン人のアルト・カルト王国とダル・リアダ王国の関係,同時に,そのピクト王国との入り込んだ関係からぼんやりと見えてくるにすぎない。例えば,ダリ・リアダ王国のアイダーン王の西方への侵略を反映してアルト・カルト王国の王系図にダル・リアダの血が流れて来たと考えられる。本稿の第1節の第2項の後半では,アルト・カルト王国がピクト王国の属領にされ,それに併合される過程を概観する。アルト・カルト王国は,8世紀中頃ごろまではその勢力を保ったと思われるが,しかし,8世紀後半には,その勢力が削がれることとなった。『Annals of Ulster』には,780年に〝アルト・カルトが燃える\" と記録されている。また,『Symeon of Durham』によると,ピクト王国の王オエンガス1世(在位732年-761年)がノーザンブリアの王エズバートと連合し,アルト・カルトを包囲し,攻撃した(756年8月1日)と考えられる。ストラスクライド王国はピクト王国に臣従礼をした。アルト・カルト王国がピクト王国の属国であったことは資料からも推測される。その第17代目エウゲン2世(在位不詳;8世紀後半)ならびに第18代目リデルホ(在位不詳;9世紀初め)の在位期間が不定で,2人の活躍を知らせる直接的な資料も見つかっていないこと,さらに,その第19代目ドゥムナグゥアル4世(在位不詳)が王であったことは『Harleian genealogies』のみで伝えられ他の資料にはないこと,また,『Chronicle of the King of Alba』には849年にブリトン人によってダンブレーン(Dunblane)が燃やされたことの記録から,アルト・カルト王国が1世紀以上の間にわたってピクト王国の属領であったこと考えられる。その第20代目アルトガル・マック・ドゥムナグゥアル(在位不詳;872年没)は,捕虜としてヴァイキングによってダブリンに連行され,872年にピクト王コンスタンティン1世(コンスタンティン・マック・キナエダ)(在位862年-877年)の扇動あるいは同意によってその地で殺害された。アルト・カルト王国は,確かに,870年にノルウェイ人でダブリン王国の指導者(王)のアヴラブ・コング(875年没)とイヴァール(873年没)に包囲され,掠奪されていた。『Annals of Ulster』では,第20代王アルトガル・マック・ドゥムナグゥアルの資格としてストラスクライド王を用い,〝rex Britanorum, Strata Claude(ストラスクライドのブリテン王)\"と記録されている。彼は,ストラスクライド王と呼ばれた最初の王であった。国名が変更されていること,また政治の中心がダンバートンからゴーヴァンに移されていることから,ストラスクライド王国もピクト王国の属国になったと考えられる。本稿の第2節の前半では,ストラスクライド王国がアルバ王国を従属されることを概観する。『Chronicle of the Kings of Alba』によると,ストラスクライド王国の初代王ディフンヴァル1世あるいはドムナル1世(在位不詳;908年から916年の間に没)がアルバ王国の王コンスタンティン2世(在位900年-943年)の治世下で死んだという報告から,ストラスクライド王国はコンスタンティヌス2世の治世下でもアルバ王国に従属していたと推測される。その第4代目王ディフンヴァル3世あるいはドムナル・マック・オーゲン(在位941年-973年)は,『Annals of Ulster』では,〝Domnall m.Eogain,ri Bretan(オーゲンの息子ドムナル,ブリテンの王)\" と呼ばれ,975年のローマへの巡礼の途上で死亡したと記録されている。『Anglo-Saxon Chronicle』には,945年にイングランドの国王エドモンド1世(在位939年-946年)が全カンブリアを占領し,それをアルバ王国のマルコム1世(在位943年-954年)に両国の陸海軍での連帯を条件として貸し与えると記録され,945年にカンブリア王国はイングランドの領土で,スコット王(多分,アルバ王マルコム1世)に貸し与えられたと理解される。しかし,ドムナル・マック・オーゲンが最後の王であると決めることはできない。というのは,その第5代目マエル・コルム1世(在位973年-997年)がアルバ王国の王と共にイングランド王エドガー(在位959年-975年)と会った8人の王に中の1人であったことから,ストラスクライド王国は,独立した国であったと理解することができる。その第6代目はオーエン2世あるいはオーガン2世(在位不詳;11世紀初めに活動)であった。第2節の第2項の末では,ストラスクライド王国がアルバ王国への併合を概観する。『Symeon Durham』によると,オーエン2世あるいはオーガン2世は1018年のカラム(あるいはコールズストリーム)の戦い(Battle of Carham(Coldstream))に参加した。ウェールズの年代記には,彼は1018年に死亡したと記録され,この戦いで彼が死んだかどうかは明らかではないが,しかし,1018年には,独立国としてのストラスクライド王国は彼の代で消滅したと考えられる。ストラスクライド王国は,スコットランド王ディヴィド1世(在位1124年-1153年)の治世まで存続したと考えられる。彼の治世時に,ストラスクライド王国がアルバ王国の属領であったか,あるいは,独立した国であったかどうかは不明であるが,多分,アルバ王国の属領で併合されていたと推測される。第3節では,アルト・カルトならびにストラスクライド両王国におけるキリスト教について概観する。本稿で取り上げるアルト・カルト王国ならびにストラスクライド王国は,その地理的立地からも推察されるように,その周辺王国の侵攻に悩まされたと考えられる。これが,その王権の伸張を阻害した大きな要因であったと推測される。また,その他の要因として,この王国にはダル・リアダ王国のアイダーン王(在位574年?-609年),ノーザンブリア王国のアシルフリス(在位593年-616年),エドウィン(在位616年-633年)ならびにオズワルド王(在位634年-642年)などの王,あるいはピクト王国のオエンガス1世などのような強い統率力のある国王(支配者)が出現しなかったこともあげられる。このこともアルト・カルト王国およびストラスクライド王国が早い段階で歴史から消える要因であったと思われる。それでも,この王国は,同様の地理的条件にあったと思われるレゲット王国やエルメト王国などのブリテンの王国よりも他の王国による支配下に入るのは遅かった。その要因はよく分からない。それは,現時点では,ミッシング・リンクである。","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_4_description_40":{"attribute_name":"資源タイプ","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"Bulletin","subitem_description_type":"Other"}]},"item_4_description_5":{"attribute_name":"内容記述","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":"研究ノート","subitem_description_type":"Other"},{"subitem_description":"Note","subitem_description_type":"Other"}]},"item_4_full_name_3":{"attribute_name":"著者別名","attribute_value_mlt":[{"nameIdentifiers":[{"nameIdentifier":"437","nameIdentifierScheme":"WEKO"}],"names":[{"name":"KUBOTA, 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